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アイヌその真実

The truth of AINU

Team JAPAN

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2015年03月20日by 砂澤 陣
2015年03月19日by Tsubaki Minezaki
2015年03月19日by 砂澤 陣
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2015年03月07日by 砂澤 陣
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合田一彦
斎藤さんの江別の博物館の話を見て、そういえば、アイヌ文化が800年くらい前までしか辿れないのなら、義経伝説が残されているのは何だ?と思って調べてみた。 
1192作ろう鎌倉幕府(現在の定説では1185だとか)に800年足すと1985~92年で、まあギリギリ間に合うとは言えるけれど、道内各地に義経伝説が残るほどだろうか?と疑問に思ったわけだ。 
で、個人的に義経伝説を研究されている方が書かれた文章を発見。 
やはり何らかのプロパガンダで作られた「後付け」ということのようです。 


3月5日
砂澤 陣
年号で追う以前に、この方はアイヌと限定されています。この時系列で行くとアイヌと称すのには相当な無理がありますし、この年代的に【古来民系の系譜に属する者達】とされなければならないはずです。
この方が書かれている時代背景ではサハリン域の諸集団との混交だけではなく交易他でも「和人」文化を積極的に取り入れている事実や歴史が認められています。
萱野を一方的に否定するものではありませんが、二風谷地方の混交や彼らの言う先祖の土地等という言葉も極めて怪しいものが多々あります。

アイヌ文化成立法私史にも萱野家や田沢家等のいう先祖というものが絶対的に抽象的・個人的概念・情緒・感傷的なものであってそれをどの様に官僚との意見交換で突破するか等が記載されています。
即ち「彼らの根拠のない要求をどの様に通すか?」という事ではないでしょうか?

萱野のアイヌ捏造史はかなり古くからで、二風谷をアイヌの聖地という根拠に義経伝説を考えるのは客観性に欠けると思われます。
サラブレッドと嫌味に称されるうちの家系図でさえ「砂澤家」~「間見谷家」~「藤戸家」の戸籍関係がかなり詳細に残されておりますが、それでも書面には「知るに問わず記載省略」という項目が出てきます。(これを世に晒せる家系は本当に限られていると思います。)

これは萱野らが本来、所謂アイヌの系譜を知る事ができたはずの戸籍を部落解放同盟と協力し完全に閲覧できなくした経緯を考えると萱野や田沢と言った二風谷の者達を単なるアイヌとみなすことは危険が無いでしょうか?

又ギリヤークとの関係や所謂アイヌが北方圏での交易に差し出していた奴隷の事等を考えると開拓と侵略は紙一重でもありますが、義経の伝説を侵略の足掛かりの様に抑えるのは・・・・・・
オルメカ文明を木っ端微塵にまで抹殺した何処かの宗教よりは無理が無いはずですし所謂アイヌの宗教的儀式は仏教の形式を積極的に取り入れているのを考察するとこの当時としては極めて平和的であり、北方圏の少数部族の系譜から強い圧力等を受けていたのを考えると、義経伝説を否定的に捉え二風谷をアイヌの聖地と捉えるのには無理があると私は考えますし、極端にいうとこれが無ければ今の北海道も和人との混交があったからこそ成立しているといえる所謂アイヌ文化も無かったと捉えられないでしょうか?
3月6日 1:33
合田一彦
はい。何らかのプロパガンダによる「融和策」としても、いわゆる国連人権委員会の策定した先住民族保護の対象となるような「先住民への虐殺、略奪行為」より、はるかにマシな方策だったと思います。 また、こうした「融和策」が用いられたという事は、白人・黒人のような一方的な上下関係の押し付けでは無く、ある意味、互いの文化を尊重しあうことが前提となっているからこそ、相手の文化的に受け入れやすいカタチでの宣伝が出来る訳で。 もし一方的な虐殺、略奪、奴隷化の対象であったのなら、このような手順は取らなかったでしょう。
3月6日 8:43
Takahiro Saito
私もその点について以前から気になってた所でした。勉強になりました。どうも有り難うございます。
3月7日 18:17
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