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アイヌその真実

The truth of AINU

Team JAPAN

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2015年04月01日by Takahiro Saito
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合田一彦

近世に樺太や千島から道内(江別など)に移住したアイヌとはまた別に、それより以前に北海道に居住していた3大系統7分派と言われるアイヌの一派が、浜益や石狩に居住していたことを記した以下の記述がありました。
こうした集団のアイヌ語というか石狩方言、浜益方言が残っているのなら、それは石狩版と言えるのかもしれませんね。 でも、移住したアイヌの言葉が残っているのなら、それは樺太・千島方言を残しているだけであって石狩版では無いような?
まあアイヌ語講座を主催する人たちは、そんなことまで気にしていないのかもしれませんが。
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引用元(1)
SAPIO増刊 わしズムVol.28 小学館発行 2008年11.29
Page.59~64
「文化人類学的見地から考える〈アイヌ系日本国民〉を「アイヌ民族」と言えない学術的根拠」
河野本道(文化人類学者)
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北海道島の「アイヌ」については、近世相当期から近代にかけてまで、3大系統7分派とも言われる社会集団などに分立していたことを、墓標の形式や歴史資料等から確認することができる(「墓標の形式に基づくアイヌ諸集団分布状況図」参照)。かつて北海道島には、シュムクル、サルンクル、ペニウンクルなどと他称されるいくつもの部族的集団が存在し、それぞれの勢力圏や生活圏があったことが知られている。(Page.61 末尾付近より抜粋)
なお、たとえば1669年の蜂起で知られる大将のシャクシャインや、同時代の石狩地方の対象ハウカセといった北海道島域の有力者が、金堀人などの和人を娘婿に取っていたことを考えると、すでに「アイヌ」女性と「和人」男性との婚姻はこの時期にはかなり行われるようになっていたと考えられる。
(Page.62 後半より抜粋)
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引用元(2)
アイヌ抒情詩 ユーカラの里
http://www2u.biglobe.ne.jp/~shuuzo2/ukaru.htm
より、虎杖丸の曲
http://www2u.biglobe.ne.jp/~shuuzo2/hukkok/itadori1.htm
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画像を拡大してみると、石狩の少し内陸より(江別あたり)に「東エンチゥ(樺太アイヌ)」の分布がありますが、それ以外の石狩界隈は「シュムクル」の分布が見られ、移住以前の部族的集団が石狩に存在していたことを示しています。

4月2日
Tsubaki Minezaki
お調べ下さり勉強になります。
土地勘がないせいでイメージしにくかつたのですが、とで分かりやすいです
河野本道先生がいてくださった事
日本の宝です
4月2日 13:56
砂澤 陣
墓標の形状や埋葬の仕方に大きな差異が地域によってあるのも事実です。
見難いですが写真は15世紀中頃から近現代時期初頭における和人等の植民過程表、先の合田さんの表と重ねると函館寄りの南側を除いて分布がほぼ一致しますね。

4月2日 14:13
砂澤 陣
簡単に言ってしまうと、この部族間で相当の戦があったのは事実。旧土人政策で初めて仲間意識を持ったと言っても過言じゃないんですよね。
4月2日 14:36
砂澤 陣
まだ言っちゃいけない結論を言ってしまった・・・・w
4月2日 16:30
Takahiro Saito
合田さん、陣さん、今回も凄く勉強になりました。3大系統7分派も初めて知り墓標、埋葬の違いがある事にも驚いてしまいました。いつもどうも有り難うございます。
4月2日 20:21
Takahiro Saito
シャクシャイン時代の部族争いを見てもやはり今のアイヌが語ってる「私たちは自由で平和な暮らしをしてました」と言ってるのは矛盾してますね。
4月2日 20:24
砂澤 陣
合田さんや斎藤君たちの様に、ここにコメントやポストをしてくれるような人達が後10人増えるとこの問題は急激に広く「根本」から議論される様になると思うんだよな〜あくまでも問題解決の為に「根本から」の議論ね。
4月2日 20:45
Takahiro Saito
陣さん、頑張りましょう〜!この論議は凄くシビアで難しい事ですが真実を伝えて行くにも様々な困難を乗り越えて大きな輪を作って行きましょう!これからの北海道、日本を支えて行くためにも!
4月2日 20:54
砂澤 陣
その為にも原稿頑張って書いてますよ〜
4月2日 21:21
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