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アイヌその真実

The truth of AINU

Team JAPAN

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合田一彦
文科省のアイヌ民族博物館の件を受けて、現在、公開されている情報からアイヌについて書いてみました。
非常に長文ですが、ご容赦ください。

『基本データ:アイヌ』より
http://goo.gl/Z20vEY

ページ中段、「宗教」の項において、ページ右の「イオマンテを描いたアイヌ絵」を大画面で見て頂けると判りますが、彼ら「自称アイヌ民族」が言うように「イオマンテ」がアイヌにとっての独自の信仰に基づく神聖なものであるならば、そこに描かれた内容は、アイヌの神聖な儀式に用いる大切な品々が並んでいる筈です。 絵を見ると、画面正面の壁には太刀(日本刀)を飾り、画面左側の床には三つ巴の紋が入れられた漆器を並べ、画面右側からは太刀を捧げ持つ人と漆器を運ぶ人が描かれています。 画面中央の族長と思われる人は、他のアイヌとは全く異なる服装であり、戦国武将のような陣羽織を羽織っています。 良く見ると壁に飾られている衣類も、アイヌ紋様の伝統的な衣類では無く、漁師の大漁祝いの法被や豪華な刺繍や染めの入った小袖のようです。 なお、こちらの絵は1870年(明治3年)に描かれたものです。 このように、アイヌが伝統的な祭事において大切にしたものというのは、実は和人との交易で得られた「お宝」であり、決して彼らが先達から受け継いできたアイヌ独自の代々の宝物では有りません。 太刀も、漆器も、豪華な織物も、いずれもアイヌは作ることが出来ませんでした。これも作ることを禁止されたからではなく、彼ら自身が手間隙かけて文化を受け継ぐよりも、交易で得ることを選択し続けた結果として、創る文化がアイヌに定着しなかったとされています。 同じく、アイヌのページから、18世紀に描かれたアイヌの絵です。

http://goo.gl/dmG22q 「松前藩領内のアイヌを描いたアイヌ絵。後ろに従う従者は、交易用の乾し鮭を背負っている(小玉貞良筆、18世紀)」という解説にあるように、18世紀、つまりは江戸期ですが、この時点でアイヌ内部において「身分」が確立していたことを示しています。 先頭の二人は日本刀を背負い、荷物は持たない手ぶらで、しかも色鮮やかな紋様の入った衣類を身に着けています。 子供の手を引く婦人も、耳飾や胸元に飾りを着けて手ぶらで歩いています。 この人の衣類は真っ白で、裾に綺麗な文様が入っています。 後の「従者」は子供と同じような黄色っぽい衣類で、腰を屈めて運ぶほどの荷物を背負って運んでいます。 この絵は、どうみても支配者階級と奴隷ないし小作人であり、アイヌ内部に歴然とした身分の違いが有った事を示しています。 『基本データ:イオマンテ』より http://goo.gl/frh2Aw

先ほどのイオマンテの絵から、イオマンテ繋がりですが、こちらの画面でも中段右側にイオマンテの絵が掲載されています。 これも拡大画面で見るとはっきり判りますが、画面中央の白髪の老人(族長:長老)は、明らかに陣羽織を羽織っています。 また、アイヌ民族を主張する方々が言われる「ヒグマ」のイオマンテだけでなく、シマフクロウやシャチを対象としたイオマンテを行う地域・部族も有るなど、決してアイヌにとっての「ヒグマのイオマンテ」だけが「イオマンテ」では無かったようです。 なお、イオマンテの起源については、以下のように述べられています。 つまりは、イオマンテを行うこと自体が、アイヌが北海道の先住民たる縄文・擦文の単純な子孫ではなく、北方民族から引き継がれたことが示されています。 DNA的にも縄文・擦文の直系ではなく、北方民族のDNAが含まれていることが判明しており、遺伝子上も文化の継承の面からも、アイヌが北海道の先住民を名乗るのは学問的には異論があると判ります。 『基本データ:危機に瀕する言語』より引用 http://goo.gl/GZnAl5 ここから幾つかのことが判ります。 一つには、日本の言語学者の調査により、アイヌ同士であっても部族の違いによる言語差(方言差)があったとされており、それゆえに他部族に伝わった伝承叙事詩(ユーカラ)の解釈が一筋縄では行かないのですが、国連(の中の文化機関であるユネスコ)には、そうした事情が一切伝わっておらず「アイヌ語」と、まるで一つの少数民族の単一の言語であるかのように歪められて伝わっていること。 沖縄地方の各方言が独立して「言語(方言)」という扱いなのと比べると、自称アイヌの人たちが、如何に自分たちに有利なように国連に歪めて伝えたのか想像に難く有りません。 二つ目には、実質としてアイヌは終わっているという事。 何しろ、アイヌ語の話者が15人(2009年時点)ですから、それも当時の言葉を伝えているのは伝承を語り継ぐ年配の方々のみであり、日常的な生活言語としての利用価値は全く有りません。 アイヌ協会が認定するアイヌが今現在は何万人居るのか詳細は不明ですが、そのうち話者と認定できるのが僅かに15人。 ではそれ以外の人たちは何人(なにじん)として何語(なにご)を話しているのでしょうか。 当たり前ですが、日本人として日本語を話して居るのですよね。それでなければコミュニティケーションが行えず、コミュニティとして成立しませんから。つまりは、アイヌコタンでアイヌとしての生活様式を、観光客相手に演じている自称アイヌの方々も、誰一人としてアイヌ語で生活している人は存在しないのですよ。 一体どこに、アイヌ語で話し、アイヌとして生活している「アイヌ」が居るのでしょうか? 金子市議が言われた「アイヌなんてもう居ないんですよね」は、決して間違っていません。 細かく言うと、「アイヌ」という括り方自体が「和人」への対義語であって、複数の少数部族を総括した「アイヌ民族」として捕らえることが果たして可能かどうか、また「方言」と「独自の信仰」や「風俗・文化」を有する「複数の少数部族群」による「民俗」に過ぎないのか、小数部族ごとの「多民族」に区分すべきなのか、といった課題はありますが、いずれにしても「アイヌは居ない」は現実を正しく表している言葉と考えられます。 となれば、アイヌ民族博物館のスレッド上でコメントされていたように、国立民族学博物館に過去に存在していた少数部族の文化・伝承として含めるべきかと考えられ、「アイヌ」だけを特別扱いして国立アイヌ民族博物館を設置する事は、税金の無駄遣いと考えます。 なお、文科省の当該スレッドへのコメントは、如何に短く的確にまとめるのか検討中です。もうしばらくお待ちください。 同省の「ご意見、お問い合わせ」のフォームから「アイヌ文化に関すること」の項で意見しようかとも思ったのですが、これまた文字数1,000文字以内しか送れないようで、やはり短くまとめないと難しいようです。 http://inquiry.bunka.go.jp/SelectInquiries.aspx
8月2日 23:07
Takahiro Saito
御尤もです!!私も改めて金子市議の発言を間違ってもいませんし、差別的な発言でもありません。言論封じにしかすぎません。
8月2日 23:18
Tsubaki Minezaki
合田さんの投稿をまとめて置こうと思います。
いつも素晴らしいですね

江戸末期も明治時代もかなりそれぞれの地方にあるアイヌは保護されていたのでネオコロもポスコロも当てはまらないんですよね…
8月2日 23:38
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