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アイヌその真実

The truth of AINU

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合田一彦
哲学のお話から。

こちらで紹介するとおり、言語は思考を規定するか、というテーマがある。
詳しくはリンク先を一読いただくとして、民族≒文化≒言語と考えられる。
つまりは、民族として固有の文化があり、固有の民族性があり、民族固有の思考を有する、それを民族と規定するものならば、そうした特徴的な文化を相互に伝達し合う、民族共有の思考の根底を成すのは民族の言語であると言える。
これすなわち、逆に衰退の側から見れば、民族の衰退とは文化の衰退であり、つまりは言語の衰退である。
ものすごーく卑小な、民族どころかローカルな文化の違いでも言えることで、例えば東京と大阪を例に挙げると、大事な待ち合わせに遅れたとき、東京であれば、まず第一声が「すみません。遅れました」が一般的であろうか。
ところが、FB上の「ゆるゆるネタ」で紹介されていた大阪人の特徴は、こうした場合には、まず「ちゃうねん」だそうな。
大阪の文化が、こうした言葉を受け容れるのか、それともこうした言葉が大阪の文化を形作るのか。
文化が言葉を特徴付けるのと同じように、言葉も文化を特徴付ける、と言ったほうが一般的かもしれない。
つまりは、文化と言葉は切っても切れない、互いに影響しあう存在であると言える。
ならば、言葉を失ったとき、そこには民族固有の思考・精神・心・文化を伝達する手段を失う。
いわば英語で日本の伝統の心を伝えようとするような、隔靴掻痒とでも言うような状態に陥る。
例えば、工芸作品や舞踊などの「形」は伝えられても、そこに込められた「思い」は伝えきれない。
だからこそ、禅(ZEN)や侘び(WABI)を研究する親日派の欧米人は、実際に日本を訪れ、滞在し、暮らしてみる中で「感じ取ろう」とするのだろう。
またアフリカ奥地の原住民や、未開の部落の研究をされる方々は、実際に現地を訪れ、その場で共に暮らし、彼らが何を考え、何を思い、それをどのように表現し、伝えようとするのかを理解したうえでなければ、自身の研究ノートに「自分の言語で」記録することが出来ないのだろう。
そうしたことを考えてみると、とある先住民族を主張する団体が、いかに欺瞞に満ちていることか。
普段は全く違う生活をして、イベントの際だけ民族衣装を着て現れ、それで民族の心や伝統を受け継ぎ、表現していると主張することの、何と言う無意味さ。
いわば、年に数日、西陣織の体験工房に来たり、曹洞宗のお寺に座禅を組みに来る、そんなたまにしか来ない欧米人が、自分は日本の伝統を受け継ぐものだと主張するかと同じレベルの滑稽さ。
9月20日 20:47
砂澤 陣
テレビなんかで外国人を引っ張り出して、日本の伝統文化や習慣を持ち上げたり滑稽だとコケ卸す番組を見ていても合田さんが書かれたのと同じ様ことを感じます。
日本の伝統文化とは何であるか?帰属意識やそれを裏付けるものは何であるのかと言った「情緒論」とは違う「現実論」を見失いつつあるんでしょうね。
9月20日 21:12
合田一彦
移民を大量に受け容れて、日本は言語的差別が著しい国だと国連人権委員会から勧告され、「第二公用語」を設定せざるを得なくなり、「日本国籍」を有する「日本人」。 なのに「日本語」が判らない人が大量に増え。 そんな人たちが当たり前のように生活ができ、健康保険や年金、生活保護まで受け取れて、警察や消防、自衛隊にも「日本語が判らない部隊」が出来、さらには外国人参政権で日本国籍を持たない在日外国人にまで選挙に参画できるようになり、「日本国籍」があってさえも「日本の文化」を考慮しない、日本語の判らないニホンジンが増え続け、いずれ「日本人」が少数民族になっていく、そうした壊日に至る潮流は、どこかで食い止めないといけません。
9月20日 22:02
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