映像資料はこちら

アイヌその真実

The truth of AINU

Team JAPAN

投稿記事

概要 投稿内容 新聞記事ほか 映像資料 記事検索 Menu(予定.6)

アイヌその真実 2015年11月
アイヌその真実 2015年10月
アイヌその真実 2015年09月
2015年09月30日by 砂澤 陣
2015年09月27日by Minoru Kaneko
2015年09月27日by 松原 宗生
2015年09月26日by 合田一彦
2015年09月26日by 望月 慎介
2015年09月25日by 辻 晴雄
2015年09月25日by 森田 佐和子
2015年09月25日by Tsubaki Minezaki
2015年09月25日by 合田一彦
2015年09月23日by 砂澤 陣
2015年09月22日by 大重 淳
2015年09月21日by 合田一彦
2015年09月21日by 岡山 隆
2015年09月20日by 合田一彦
2015年09月20日by 合田一彦
2015年09月20日by 砂澤 陣
2015年09月18日by 新垣 亜矢子
2015年09月16日by 生方 太郎
2015年09月16日by 砂澤 陣
2015年09月16日by 合田一彦
2015年09月16日by 合田一彦
2015年09月16日by 合田一彦
2015年09月15日by 柯嘉馬
2015年09月15日by 高木 豊昭
2015年09月15日by 合田一彦
2015年09月15日by 合田一彦
2015年09月14日by 砂澤 陣
2015年09月14日by 合田一彦
2015年09月12日by 砂澤 陣
2015年09月10日by 合田一彦
2015年09月09日by 砂澤 陣
2015年09月08日by 合田一彦
2015年09月06日by Etsuko Obara
2015年09月06日by 砂澤 陣
2015年09月06日by 砂澤 陣
2015年09月06日by 砂澤 陣
2015年09月06日by 砂澤 陣
2015年09月06日by 砂澤 陣
2015年09月03日by 峯木 貴
2015年09月02日by 森本 祈
2015年09月02日by 田中澄子
アイヌその真実 2015年08月
アイヌその真実 2015年07月
アイヌその真実 2015年06月
アイヌその真実 2015年05月
アイヌその真実 2015年04月
アイヌその真実 2015年03月
アイヌその真実 2015年02月
アイヌその真実 2015年01月
アイヌその真実 2014年12月
アイヌその真実 2014年11月
アイヌその真実 2014年10月
<< 2015年09月25日 by Tsubaki Minezaki 2015年09月23日 by 砂澤 陣 >>
合田一彦
日本における民族って何でしょうね。
先史以前、日本が未だ大陸と陸続きだった頃、日本海は大きな湖状だったとされており、その頃に大陸の東海岸に住み始めた人たちが最初の日本人と考えられています。
その後、温暖化に伴って海水面が上昇し、大陸から切り離されたことで日本海に対馬海流が流れ込むようになるなど、地勢ばかりか気候の変化もあり、独自の縄文文化が発展したと言われています。が、縄文時代といっても凡そ1万数千年前から数千年前までの非常に幅の広い期間であり、その間にも間氷期には千島・樺太との間が凍った海水面で繋がり、陸続きになる事で北方からの影響が加わるなど、常に様々な変化を続けていました。
また、温暖期・間氷期などの気候の変化は、すなわち動物相・植物相の変化でも有りますから、縄文時代の人たちは生活環境の変化に応じて、南北に伸びた日本列島のあちらこちらに移動・移住したと考えられています。
その後の稲作文化を迎えた弥生時代や、大和朝廷を掲げた統一・東征などを経て「日本」として確立されていく訳ですが、ここで民族という目で見ると、日本と言うのは沖縄から北海道、千島・樺太まで、相互に交易を続けるなど、人的・物的な交流が常に行われており、文化のみならず血の交流・混血も繰り返されて現在に至っています。
縄文期でさえも、沖縄で取れた貝殻を使った腕輪が、北海道の縄文遺跡からも発掘されているなど、その時代の交易・交流のバイタリティーに驚くほどです。
こうした日本列島で見られた状況は、世界的には極めて特異な現象なのかもしれません。
オーストラリアのアボリジニやニュージーランドのマオリなど、欧米人種が大航海時代に上陸するまでは完璧に彼ら独自で暮らしてきた「先住民族」とは異なるもので、日本国内に住んでいる人たちは、どの土地の出身であっても、先祖を辿ればどこかで繋がっていると言えます。
このような交易・交流の歴史を経て、江戸期に「藩」という行政上の区分を行うことで、北海道では「松前藩」が区分した「和人」の居留地とそれ以外、鹿児島では「薩摩藩」として区分した領域と「琉球」に分けられました。
ただ、ここで気を付けるべきは、このような呼び名は「土地に線を引く」ことで設けた「行政上の区分」であって、先史以来、交流を続けている日本列島においては、欧米人と現地人(アボリジニやマオリなど)といった「侵略民族」対「先住民」という構図が成り立たないからこその「居住している土地に設けた区分」に過ぎないのです。
逆に言うと、オーストラリアやニュージーランドにおいては、人々が混在していても「白人は白人」「現地人は現地人」と一目で見分けが付くからこそ、そうした「住んでいる土地に線を引いた行政上の区分」が不要だったとも言えます。
それが証拠に、松前藩では「藩に届出の無い和人の立ち入りを禁止する」お触れや、逆に「和人以外のものが、和人の領域に立ち入って同じような風俗・風体をすることを禁じる」など、勝手な交流を禁じたお触れが出されています。
これすなわち、そうしたお触れで禁止しなければ、互いに混じってしまい、土地上に設けた「和人とそれ以外」という区分が有名無実化してしまうからこその、人々の交流を禁じた訳です。
そして250年間に渡る江戸時代が終わり、明治維新となって「日本国内に住まうもの、皆、等しく国民である」として、こうした土地上の区分に縛られた差別は撤回され、明治維新以降、現在まで約150年ほど経過しました。
一言に150年と言いますが、一世代25年で換算すると、だいたい5~6世代に相当します。
仮に、5世代の交流・混血を繰り返すと、完璧な異人種同士であったとしても、図のような血統のグラデーションが生じます。
ここで、本人が自称「〇〇民族」を唱えたとして、いったい、このグラデーションのどこから何処までが「〇〇民族」であり、それ以外は「☓☓民族」という区分が可能なのでしょうか。
血統を1/2以上含むところが区切りでしょうか?
また、仮に血統を1/4以上と定めたら、残りの3/4の血統には属さないとして良いのでしょうか?
そして、そもそもが日本列島を縄文期にまで遡ってみれば、列島自体が幅の広いグラデーションであったことを思えば、その後の混交で独自の文化が成立したと言っても、土地ごとの固有の文化風俗や、山人の独自の文化、ワタリなどの海上生活者の文化など、独自の文化を有する小集団は幾らでも存在した訳です。
それを思えば、江戸期に「アイヌ」として和人との自由な交流・交易を差別された、というのは歴史的な事実ですが、彼ら自身が「アイヌという先住民族だ」と主張するのは全くお門違いなのです。
しかも、同化政策で文化・言語を強制的に奪われたという主張にしても、学校で教えていたのは僅かに4年間、後に彼ら自身の要望で一般の児童と同じく6年間に伸びましたが、それとて週に30時間の学校生活に過ぎず、日常の生活時間の1/4が「学校で日本語の使用のみに限定された」というだけであって、自宅で自分たちの文化・言葉を語り継がず、子供たちに伝えない、そういう選択をしたのは彼ら自身です。
アイヌ系の血を引く多くの方々は、そうした経緯を判っておられるからこそ、「アイヌに生まれたから貧乏だった」とか「アイヌだから差別されて仕事にありつけない」などと主張する事は無く、むしろアイヌ出身の言語学者である「知里真志保」氏のように、失われつつある独自の文化を保存するための研究に取り組むなど、積極的に活躍されたのでしょう。

9月25日 13:58
砂澤 陣
こうした考察を面倒がって純血主義に暴走したり・・・・・自分達のルーツをヒステリックにDNAだ!お隣の某国の人種とはという否定語ばかりが横行していますよね。
客観的にこうした時系列の流れを学ばないと駄目なはずなんですが・・・・・・
9月25日 21:23
谷口 佳輝
これ、日本語も同じことが言えますね。基本的に日本語ってのは南方系と北方系のクレオールで発生した言語だと思ってます。
9月26日 8:22
<< 2015年09月25日 by Tsubaki Minezaki 2015年09月23日 by 砂澤 陣 >>